季刊 チルチンびと No.17 2001 SUMMER より


雑木山の産物が

        暮らしを豊かにする


  ミツバチの恵み

ミツバチの巣はハチミツの他、ワックス、ロイヤルゼリー、プロポリスなど人間に役立つ産物が採れる宝の山だ。


紀州の梅、ビワ、イチゴ、ミカンの栽培農家はミツバチの力を借りて受粉させる。人工授粉より奇形の実がずっと少ないという報告も。
 紀州の春。4月初めだというのに眩しい太陽光に肌がぴりぴり。木々はもう新緑に芽吹き、夏みかんの黄色が鮮やかだ。暖かい黒潮の通り道、熊野灘に急峻な山々が迫り、海・山・空が独特な風景と空気を生みだしている。
 名古屋から紀勢本線の特急に乗り、平野を抜け数々の山をくぐり太平洋岸をつかず離れず走って3時間余り、和歌山県に入った紀伊勝浦で降りた。南紀州と聞けば、修験道に南方熊楠に台風……など連想ゲームのように浮かぶ言葉がある。もう一つ、南紀は養蜂の地でもある。
 港近くの駅から車を20分も走らせればもう山のなかにいる。日本でいちばん遠くから富士山を望めるという妙法山方面へ上る途中に中村誠一さんの「蜂場」がある。年季が入っていそうな150個ほどの巣箱が道路脇のちょっとした平坦な場所に置かれている。濃いピンクのモモの花が満開。明るい山間に心地よい風が吹きわたる。
 骨董品のような燻煙器なるもので中村さんが蜂の巣をいぶす。上半身すっぽり入る網と防止を被り巣に近づく。中村さんが巣箱の1枚の枠を持ち上げると、そこにはミツバチが折り重なるようにぴっちり。1箱に2万〜3万匹もいるという。枠の中にめいっぱい巣をつくりあげ、雑木山の木々の花から集めてきた蜜で満たす。養蜂の主産物ハチミツは、いうまでもなくこれを搾り取ったものだ。
 勤勉なミツバチは、枠の外へも巣をどんどん張りだしてつくる。これが「ムダ巣」と呼ばれるもの。ムダ巣こそが今回の主役「蜜ロウワックス」の原料なのだ。新しいムダ巣は透明感あるきれいな黄色。とても柔らかい。まだハチミツの詰まっていないムダ巣をこそげ取って大きな袋に入れて持ち帰る。昔から蜂の生産物には捨てるものがないと言われるが、じつにそのとおり。「ムダ巣」でさえワックスに生まれ変わるのだから。

庭で蜜ロウワックスを
 「蜜ロウはみなさん知らないうちに使っています。ワックスも昔からありますし、口紅に使われていたり。でも、この蜜ロウワックスは画期的ですよ」。どことなく花と蜜の入り混じったような甘い香りが漂う自宅の庭で、養蜂歴20数年の中村さんは、ワックスづくりが楽しくて仕方ないといった様子で話す。祖父が養蜂家だったおかげで子どもの頃から蜂に親しんでいた。山に入れるからと就職した製紙会社に勤めるかたわら、20歳の頃から「趣味で」養蜂を続けてきた。晴れて会社を辞めた後は奥さんと養蜂業に専念する。
 中村さんが小川耕太郎・百合子社から依頼を受けて共同開発した「未晒し蜜ロウワックス」の最大の特徴は、蜜ロウを伸ばすのにシンナーなど有機溶剤をいっさい使わないこと。荏ゴマ油を使う。荏ゴマはかつて日本でもたくさん栽培されていたシソ科の植物で、今もその油が神社の灯明に使われるとか。このオイルと蜜ロウを混ぜ合わせながら、「蜜ロウワックス」にしていく。自宅の庭、柿の木の下で中村さん夫婦二人で行う全くの手作り行程である。

出会いから「作品」が誕生
 小川耕太郎・百合子社の「未晒し蜜ロウワックス」はすでに本誌でも紹介しているように、注目を浴びている商品だ。商品のコピーは「材木屋とハチミツ職人がつくった」。材木屋とは小川耕太郎さん、ハチミツ職人はもちろん中村誠一さん。
 小川耕太郎さんは三重県尾鷲市に生まれ育ち、東京で働いた後Uターンして家業を継いで製材業者となった。が、数年前、不幸にも倒産。「半年くらいぼうっとしてから備長炭の通信販売をはじめた頃に中村さんと出会う機会がありました」。それもハチミツと。熊野祭りで買った中村養蜂場のハチミツの味に妻の百合子さんが思わず「美味しい」。それが出会いのきっかけ。早速、中村さんを訪ねハチミツを通販で扱いたいと申しでた。耕太郎さんの「自然の恵みを販売する仕事をして、利益を山に還元したい」という考えに、中村さんは一も二もなく同意する。

蜂の巣が六角形なのは巣を作る時に使う触覚の開きが一つの角の定規になるからとか。

巣箱に近づく時は燻煙してから作業を行う。ミツバチの攻撃の意欲が減退するのだという。

中村誠一・秀美さん。楽しそうにミツバチと付き合っているのが印象的。

中村家のミツバチ供養塔。毎年3月8日、修験道士にお経を唱えてもらう。


小川耕太郎・百合子さん夫妻は賀田の港を見下ろす高台に暮らす。蜜ロウワックスの利益の5%を産地に還元することをめざし奮闘中。
 蜜ロウワックスにたどり着くのにそう時間はかからなかった。小川さんが地元の小学校の内装が木でつくられたというので見学に行ったところ、仕上げがなんと化学塗料だった。
「せっかくの木の良さをダメにしてしまう。木を生かす塗料がないだろうか」
 ドイツ製蜜ロウワックスも調べてみたが、それにも有機溶剤が入っていた。
 自然系のワックスといえば昔から蜜ロウが知られている。しかし伸びが悪く扱いにくいのが難点。伸ばすのに植物性オイルなら安全なものができるはずだ。「蜜ロウと油だけでまったく害のないワックスを作れないだろうか」と中村さんに相談すると、「できる」との返答。プロポリスクリームをつくっていた中村さんには自信があった。昔から木工は荏ゴマ油を用いていたではないか。
 そして、蜜ロウ+荏ゴマ油の配合ワックスへの挑戦がはじまる。木に用いるにはどんなタイプが向いているのか、配合比率をさまざまに変えながら、3タイプを製品化することに。ケヤキに塗ったところ、「これはすごい」と元製材屋の耕太郎さんにはわかった。早速、家具職人や主婦に試供品を使ってもらいアンケート調査を行う、と同時に注文が入ってきた。薦められ特許も出願した。
「蜜ロウと荏ゴマ油、どちらもそれぞれ伝統的に使われてきた材料でしたが、一緒にすることで現代に求められる塗料が生まれたのです」と小川さん。それは安全で、かつ環境を守られるもの。「未晒し蜜ロウワックス」は、まさにそれにあたる商品となった。「顔に塗っても口に入ってもだいじょうぶ」な、ある意味でぜいたくな塗料。社会はこういうものを求めていた。その背景に「シックハウス症候群」など化学物質過敏症が急増している状況があった。

自然の素材で環境教育
 4月2日、神奈川県の二宮小学校では朝9時から先生と保護者が1年生の教室に蜜ロウワックスがけを行った。18リットル缶に入った「柔らかタイプ」のワックスをスポンジに含ませて木の皮に伸ばし塗っていく。
 二宮小学校でこのワックスがけを行ったのは、今年4月に入学した児童の中に、化学物質に敏感な子どもがいるからだ。その子の母親は「去年夏、二宮町の就学相談会で相談してみたところ、教育委員会と校長先生、親とで勉強会をはじめることになりました。いろいろ調べてこの蜜ロウワックスが採用になったのです」とひと安心のようす。
 蜜ロウワックスの採用を決めた橘川卓司校長は、こんなふうに話す。
「これまで使ってきたワックスより値段が高いですが、子どもの健康と命が一番大事だと思うので決めました。たとえ一人二人の子どものことでも、『何万分の一でも命は大事』なんです」。小川さんは「今年からミツバチや雑木山のことを紙芝居で伝える自然教育もはじめます」と語る。同校で保護者、先生たちと行ったのがその第一歩となった。